☆家守綺譚・梨木果歩(新潮社)
※サルスベリ
ひょんなことから、家を借りることになった主人公は、サルスベリに恋慕されてしまう。
(感想)
フィクションだけど、どこかリアルなお話です。英語教師の「私」と、死んだはずの親友の会話がちょっと不思議でした。
※都わすれ
死んだはずの親友、高堂に頼まれて、私綿貫征四郎は、ゴローという犬を飼うことになる。
(感想)
この「私」というのが、どことなく、夏目漱石っぽくて好きですね。
※ヒツジグサ
未(ひつじ)の時刻に咲く睡蓮の花。その葉が群生していると思っていた場所に、カッパがいた。
(感想)
カッパが乾物になってるというところがユーモアがあると思いました。
※ダァリア
印象に残った記事
(引用開始)
これには心が動いた。しかし、百足やマムシが出るたびに頭の中で金勘定をするようになる気がして、それはあまり高等な習慣のようにも思えなかった。第一、文筆に勤しんでいるとき、やれ百足が出たからといって、全ての思考を中断して百足採りに血道を上げるというのは本末転倒ではないか。
(引用終わり)
(感想)
まるで志賀直哉みたいな語り口ですね。
※ドクダミ
カッパの抜け殻を手に入れた「私」のもとへ、高堂が現れて意外なことを告げる。
(印象に残った記事)
(引用開始)
もう少しすごみのある人格の方が、奥行きがあって、文筆を業とするのにもだいぶいいような気がする。どうもこういう軽さが、原稿に重みの生まれない致命的な要因なのではないだろうか。
(引用終わり)
(感想)
自分を客観視できるユーモアがありますね。
※カラスウリ
家守になった夢を見る「私」。しかし家守にしてみれば、「私」の方が夢だった……
(感想)
邯鄲の夢ですね。
※竹の花
碁を打ちに、和尚の家に行くことになる。が、途中でキツネやタヌキが出てきて……
(感想)
狐や狸と思っていたら、実際には違うという設定と、ラストのオチが面白かったです。
※白木蓮
つぼみの中に、タツノオトシゴがいるという長虫屋。凄い金額で引き取るというのだが、怒って「私」は帰れと言う。そして木蓮のつぼみは孵り、中から出てきたのは……
(感想)
面白いラストでした。タツノオトシゴと長虫の関係から、一気にこういう逆転もあるのか、と思いました。伏線の張り方がいいですね。
※木槿(むくげ)
印象的な記事
信仰というものは人の心の深みに埋めておくもので、それでこそああやって切々と美しく浮かび上がってくるものなのだ。もちろん、風雪に打たれ、堪え忍んで鍛え抜かれる信仰もあろうが、これは、こういう形なのだ、むやみに掘り出して人目にさらすだけがいつの場合にも最良とは決して限らないのだ、ことに今ここに住む我らとは、属する宗教が違う。表に掘り出しても、好奇の目でmられるだけであろうよ、それではその一番大事な純粋の部分が危うくなるだけではないのか
(なぜ印象的なのか)
聖書には、鍛え抜かれ、堪え忍ぶことが美しいと書かれていますし、イエスは、自分が物陰で言った言葉を、大勢の人々に伝えなさいと弟子に命じました。だけど、こういう言葉が出てくるというのは、ナガサキの影響があるんだろうなと思いましたね。
※ツリガネニンジン
六人の女の子が、店じまいした旅籠の一つから、欄干にもたれている。その娘さんたちは、幻のようであった。
(感想)
人康(きねやす)親王という、仁明(にんみょう)天皇の四番目の王子で目が不自由にうまれついた方――蝉丸とは違う人の話が載ってます。どこでこの情報をゲットしたのかな? と思いました。
※南蛮ギセル
風の強い日、長虫屋と会った「私」は、自虐的な気分に陥る。
(感想)
風虫、という、やけに手足の長い、蠅よりも細身の、風を予見して一斉に湧く虫の話題が載ってます。創作に使えそうです。
※紅葉
竜田姫という、日吉(ひえ)神社の、この湖水をおさめている姫神のことを知る「私」。紅葉を喰らうモミジブナが、姫神の竹生島参りとぶつかり、少々混乱をきたしているという……
(感想)
姫神を使って、TRPGができそうです。ここに書いてあるように、晩秋の綾錦の衣をしまい込む、という形にしようかな。
※葛
黒い小さな虫がほくろになった。鷺に悩まされないようにと思い、人魚のために網を張る主人興亜、その網の縄に使った葛のツルに、天内が咲きかけの花房を残す。
感想
高堂のことを書け、とけしかけられて迷いつつも、メモをする「私」というのは、とことん書くことに魅せられたんだろう、と思いました。
※萩
人魚は去ってしまう。
感想
葛の花のかわりに、同じ形を細く小さくした、寂しい萩の花が咲いていた、というところで、ちょっぴり感傷的な気分になりました。
※ススキ
「私」は牛尾山で、高堂と会話をする。
感想
印象に残った記事
(引用開始)
――つまり、ああいい場所だと思う、そして自分が死んだら故郷のどこそこへ埋めてくれと人にせがみたくなる、いい場所とはつまり、人が埋められる気になる場所なのだよ。
(引用終わり)
(なぜ印象的なのか)
私の夫は、死んだら灰を海に撒いてくれと言うとりました。そういう時代とは違った感覚の頃の話なんだな、と思いました。
※ホトトギス
再び狸に化かされる「私」である。
(感想)
今回の狸は殊勝でした。
※野菊
ヘクソカズラについての蘊蓄あり。
感想
名前についてのアレコレが書いてあります。最後のオチは穏やかでした。
※ネズ
カワウソまで化けて出た。一生カワウソ暮らしと聞いてびっくりする「私」。
感想
長虫屋の母方の祖父がカワウソなのだそうです……。日常がリアルなだけに、そういうことを平気で言える世界って面白いなあと思いました。
※サザンカ
「緑の風」という風が吹くと、必ず行方不明になる人がいる、という本(世界の風土病)を読む「私」。その風が吹くと、ふらふらと砂漠の中にあるいていってしまうのだとか……。この場所にも風土病があるか、と考えていると、彼の元に不思議な現象が。
感想
ダァリアの君がやってきて、幼なじみの佐保ちゃんは、春の女神になって戻ってくると泣くシーンは、不思議だけどそういう土地なんだなあとしみじみしました。
※リュウノヒゲ
ロンドンに留学している友人が、夫人は歳を取ってくると次第に象足になる、という話を手紙によこす。
そんな日常を営む彼の処へ、洗濯物が飛んできたと言って、かみさんがやってくる……。
(印象的な記事)
(引用開始)
死んでいようが生きていようが、気骨のある魂には、そんなことはあまり関係がないんですよ。
(引用終わり)
(なぜ印象に残ったか)
気骨のある魂って、なんだろうと思いました。そして、その魂は、死んだらどこへ行くのだろうかと。どんなのどうでもいいっておかみさんは言いかねませんね。
※檸檬
湖の方から列車が来る、とダァリアは言う……
(感想)
檸檬が印象的なお話です。話の中心ともなってます。珍しいことです。
※南天
お札がネズミに引かれてる、と言われてお札を買いに吉田の神社に買いに行くと……
(感想)
長虫屋、またも登場。今度は腹違いの弟が出てきました。お札を売ってるんですが、そのお札がべらぼうに高かったり。結局買ってから中身を見たら、というシーンで笑ってしまいました。なんだ、それなら買う必要ないじゃないの! (笑)
※ふきのとう
小鬼と出会う私。
(感想)
高堂が再び登場。ちょっぴり毒のあるところはまだまだ健在でした。
※セツブンソウ
ペンとインクと筆の関係、そして、今年は咲かないかもしれないセツブンソウ。高堂との会話は進む。
(感想)
下界にまみえぬ、清澄な気配をあたりにはなっているセツブンソウが、深山の奥にしか棲息できまい、と考える「私」の心情はどんなものか、想像する楽しみがあります。
※貝母(ばいも)
「私の探している道とは何か」
ふいに筍狩りから、哲学的な話になりそうな雰囲気になる。
(感想)
突然英語が出てきてびっくりしました……。
※山椒
和尚の様子がおかしい……
(感想)
でも、それじゃゴローに感謝ってありえないよなあ、と思いました。だってタヌキだよ?
※桜
山内にさんざんなものの言い様をされてしまう「私」である。
(感想)
木にいとまごいをされるとは、主人公の綿貫も相当変人です。
※葡萄
湖の底へ行った「私」は……
(感想)
葡萄を食べる、食べないというところで決意をする「私」の克己心の強さに打たれました。
この話は、これでおしまい。